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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)6704号 判決 1997年8月27日

原告

畑和代

右訴訟代理人弁護士

渡部雄策

井上洋一

渡部雄策訴訟復代理人弁護士

保澤享平

被告

黒川雅夫

右訴訟代理人弁護士

脊戸孝三

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成八年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一及び第三項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三二〇万円及びこれに対する平成八年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二 事案の概要

一  本件は、原告が、境界確認書への署名捺印に対するいわゆる判付料として被告に交付した三二〇万円について、境界確認ができなければ土地建物の買主に違約金を支払わなければならない原告の窮状に付け込んで要求されたものであり、被告に三二〇万円もの多額の金員の支払を受ける理由は全くなかったから、右支払は暴利行為として公序良俗に反し無効である旨主張して、被告に対し不当利得としてその返還を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、大阪市北区浪花町一二三番の一の宅地(41.14平方メートル)(以下「原告土地」という。)を所有し、被告は、同所一二三番三の宅地(41.68平方メートル)(以下「被告土地」という。)を所有していた。右各土地は隣接している。

2  原告土地上の軽量鉄骨造陸屋根三階建事務所(以下「原告建物」という。)は昭和四二年に建築され、被告土地上の鉄骨造陸屋根三階建居宅(以下「被告建物」という。)は昭和六二年に建築されたものである。

3  原告は、被告に対し、原告土地と被告土地の境界確認書への署名捺印を求めたが、被告は右署名捺印を拒否した。

4  その後、原告と被告は、当事者間で、あるいはそれぞれ代理人を立てて話合いを持った。

5  結局、原告は、被告に対し、和解金の名目で三二〇万円を支払った(以下「本件和解金」という。)。

三  争点

本件和解金の支払は、暴利行為として公序良俗に反し無効といえるか。

1  原告

隣地との境界に争いのない場合、隣地所有者は無償あるいはわずかの謝礼で境界確認印を押すのが社会通念である。しかるに、被告は、売買契約が解除されれば六四〇万円の違約金を支払わねばならない原告の窮状に付け込んで、三二〇万円もの過大かつ合理的根拠のない金員を原告に支払わせたものである。したがって、本件和解金の支払は暴利行為として公序良俗に反し無効である。

2  被告

被告は、原告建物の建築に際し、原告土地と被告土地の境界ぎりぎりに建てることを容認したにもかかわらず、被告建物を建築した際、原告の娘婿から、右境界から三〇センチメートル以上離して建築するよう強く求められれ、非常な怒りを覚えたことがあった。また、平成七年一月一七日の阪神大震災により、原告建物の壁が被告建物に倒れかかったにもかかわらず、原告はそれを放置した。同年六月にやっとシートが被されたものの、右状態は是正されなかったばかりか、シートを被せるための木材の足場が被告土地内に侵入するとともに、右木材が被告建物の壁に当てられる始末であった。被告は、右各事情に不満を持っていたため、当初境界確認書に対する署名捺印に応じなかったものである。本件和解金は、いわゆる判付料の趣旨にとどまらず、右各事情に対する原告のいわゆる詫び料の趣旨をも含むものであって、何ら不当なものではない。

第三 争点に対する判断

一  前記争いのない事実に、証拠(甲一の1ないし3、二の1、2、三ないし一二、乙一ないし六、検乙一ないし一六、証人伊藤(一部)、同今井(一部)、原告(一部)、被告(一部))によれば、次の事実を認めることができ、証人伊藤永及び同今井俊朗の各証言並びに原告及び被告各本人尋問の結果中この認定に反する部分は前掲各証拠に照らし信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  被告は、昭和六二年被告建物を建築した際、原告の娘婿である小林厚から、境界から三〇センチメートル離さないと建てさせないなどといわれ、立腹したことがあった。しかし、被告は、結局、三〇センチメートルの間隔を空けずに、予定どおり被告建物を建築した。

2  原告建物は、昭和五五年六月以降空き家であったところ、平成七年一月一七日の阪神大震災により被告建物側の壁の表面が一部剥離し、被告建物に倒れかかる状態になった。被告は、原告の連絡先が分からなかったので、妻等を通じて大阪市に苦情を申し入れた。

3  原告は、平成七年五月上旬、大阪市からの連絡で原告建物の右破損状況を知り、業者に依頼して原告建物にシートを被せるなどの措置を講じた。しかし、右シートを被せるための足場に用いられた丸太が被告土地に侵入し、支柱が被告建物に当てられており、また、被告建物に倒れかかった壁の表面のうち放置されたままの部分があり、被告はそれらのことについて不満を抱いていた。

4  原告は、平成七年八月二八日、関西都市流通株式会社に対し、原告土地建物の売買の媒介を依頼した。その媒介により、同年一一月七日、川勝彰輔及び川勝保子との間で、原告土地建物を代金三二〇〇万円で売り渡す旨の契約を締結し(以下「本件売買契約」という。)、手付金三二〇万円を受け取った。本件売買契約においては、買主は売主に対し残代金のうち一五〇〇万円を平成七年一二月二六日までに、一三八〇万円を平成八年一月二五日までにそれぞれ支払う、売主が売買代金全額を受領した時原告土地建物の所有権は買主に移転し、売主は原告土地建物を買主に引き渡す旨定められていた。

5  本件売買契約に関する契約書の第4条には「売主は、買主に本物件引渡しのときまでに、現地において隣地との境界を明示する。2 売主はその責任と負担において、本物件の土地に関し、隣地所有者との間で境界を確認した上、有資格者の測量に基づく当該実測図面を作成し、本物件引渡しの日の10日前までに買主に交付する。3 前項による測量の結果、登記簿面積と実測面積との間に差異が生ずれば、売主は地積更正登記の責を負う。」と、第14条には「売主または買主が本契約に定める債務を履行しないとき、その相手方は、自己の債務の履行を提供し、かつ、相当の期間を定めて催告したうえ、本契約を解除することができる。2 前項の契約解除に伴う損害賠償は、標記の違約金によるものとする。3 違約金の支払は、次のとおり遅滞なくこれを行う。① 売主の債務不履行により、買主が解除したときは、売主は、受領済みの金員に違約金を付加して買主に支払う。…」とそれぞれ規定され、右契約書において、違約金は六四〇万円と定められていた。

6  土地家屋調査士横田勝治は、関西都市流通の代表取締役伊藤永から、原告土地の測量を依頼され、境界確認の立合いを依頼するため、被告に連絡をとったところ、原告建物の壁の表面の一部が被告建物に倒れかかっていること、前記丸太が被告土地に侵入していることに対する不満を理由に立合いを拒否された。

7  右拒否の連絡を受けた原告は、平成七年一二月一六日、甥とともに被告宅を訪れ、境界確認書への押印を頼んだが、被告は、被告建物建築時の小林の前記発言に怒りを感じていることや原告建物の壁の一部が被告建物に倒れかかっていること、前記丸太が、被告土地に侵入していることに対する不満を理由に拒否した。そこで、原告は、業者に補修、改善するように手配した。原告は、同月二〇日、甥とともに再度被告宅を訪れ、被告の友人今井俊朗を交えて話し合ったが、被告には右押印をやはり拒否された。

8  被告の境界確認書への押印拒否により、原告土地の実測図面作成の目処が立たないため、原告は、平成七年一二月二五日、川勝らとの間で、残代金二八八〇万円の支払期日を平成八年二月二六日に延期する旨合意した。

9  原告は、平成七年一二月二七日、小林に被告に対し謝罪してもらおうと考え、小林を伴って被告宅を訪れた。しかし、小林が被告建物建築時の前記発言については認めなかったため、被告は小林から謝罪されたとは受け取らず、境界確認書への押印についても明確な返事をしなかった。一方、原告は、小林の謝罪により被告は右押印を納得してくれたのであろうと考えた。

10  原告は、平成七年一二月終わりころ、伊藤に対し、境界確認書への押印についての被告との交渉を依頼した。伊藤は、同年中に被告に会い、金銭による解決があり得るか聞いてみたものの、右交渉について、被告は今井に任せているとのことであった。

11  伊藤は結局今井は金銭を要求するつもりであろうと考え、平成八年一月上旬今井と会った際、同人に対し、本件売買契約の内容を説明した上、独自の判断で五〇万円から一〇〇万円の範囲でどうかと持ちかけた。しかし、今井から明確な返事はもらえなかった。

12  伊藤が今井に二度目に会った際、二〇〇万円くらいでどうかとの話が出たが、今井が承諾せず、三度目に会った際、交渉の場に同席していた烏野から手付金相当額でどうかとの話が出、伊藤はその話を持ち帰ることになった。

13  原告は、伊藤から手付金相当額で解決する案を聞き、迷ったものの、本件売買契約の違約金が六四〇万円であることから、仕方なく右案に応じることにした。伊藤は、右案を報告する際、原告に対し「こんな事おまへんで。これは恐喝ですわ。」と言っていた。

14  一方、被告は、原告から詫び状をもらえたら境界確認書に押印するつもりであり、原告から受け取る金銭について、自らは要らないものの、今井が交渉の手数料として取得すればよいと考えていた。

15  伊藤から話が付いた旨連絡を受けた横田は、平成八年一月二五日、被告の妻の立合いを得て、原告土地と被告土地の境界を確認した。境界の位置には争いがなく、作業は円滑に行われた。

16  原告は、平成八年一月二六日、今井に対し、一六〇万円を支払った。また、同人の指示により「黒川様 過日、貴宅の新築の際に、私が不用意に発した言葉に、貴方様の感情を著しく傷つけ多大の不快感を与へました事を今此処に書を持ってお詫び致します。申し訳ございませんでした。平成八年一月二十六日」と書面に記載した上、小林の住所氏名を代筆して同人の印章を押捺し、原告もその左横に署名押印した。

17  原告は、平成八年二月七日、今井に対し、一六〇万円を支払った。また、同人の指示により「和解書 私畑和代は、大阪市北区浪花町12―13黒川雅夫と過去に、いろいろないきさつがございましたが、黒川雅夫代理人今井俊朗を通じ、和解が成立しましたので、今後、異議申し立ては一切ございません。なお、和解金として、金320万円を代理人今井俊朗に渡します。」と記載された書面に署名押印した。

18  被告の署名押印を得て、平成八年二月九日、原告土地と被告土地の境界に関する「筆界確認書」が作成された。また、右和解書に「平成8年2月9日」の日付及び代理人と肩書のある今井の署名押印が補充された。そして、今井の原告に対する平成八年二月九日付け三二〇万円の領収書も作成された。右領収書の但書欄には「大阪市北区浪花町123番1及び123番3の境界に関す和解金として」との記載がある。

19  その後、原告土地の実測面積が思ったより狭かったため、川勝らから不満が出たものの、原告と川勝らは、原告土地建物の売買代金を三一〇〇万円に減額することで合意し、平成八年二月二九日、原告は、川勝らから残代金二七八〇万円の支払を受けた。

二1 右一で認定した事実によれば、被告は、被告建物建築時の小林の前記発言に怒りを感じていたことや原告建物の壁の表面の一部が被告建物に倒れかかっていること、前記丸太が被告土地に侵入していることなどに対する不満を理由に原告土地と被告土地の境界確認書に押印することを拒否していたのであるから、被告が感情を害した右事情について原告と被告との間に紛争があったということができ、本件和解金の支払には、「筆界確認書」への署名押印に対する謝礼の趣旨にとどまらず、右事情について謝罪し、よって右紛争を解決する趣旨も含まれていたことは否定できない。

2 しかし、、右紛争の性質、内容等に加えて、右一で認定したとおり、原告土地と被告土地の境界の位置については争いがなかったこと、小林の前記発言については詫び状が作成され、原告建物の壁の表面の一部が被告建物に倒れかかっている等の点については原告が業者に補修、改善するように手配していること、被告自身は詫び状をもらえれば境界確認書に押印してもよいと思っていたことを考え併せると、三二〇万円という金額は、右謝礼の趣旨としてはもとより、被告が感情を害した右事情について謝罪し、よって右紛争を解決する趣旨を考慮しても著しく高額であって、その目的と対比すると権衡を失していると評価せざるを得ない。

また、右一で認定した事実によれば、今井は、被告から境界確認書に押印してもらえなければ川勝らに対し違約金六四〇万円を支払わねばならないという原告の立場を熟知しており、原告の右窮状に乗じて、その対応を窺いながら、本件和解金の引き上げを図った上、三二〇万円の支払を受けたという事情を認めることができる。

3 右1、2の検討によれば、本件和解金のうち、二〇万円を越える部分については、その支払の合理的根拠を見出し難く、公序良俗に反し無効であると解するのが相当である。

第四 結論

以上によれば、原告の本訴請求は、三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年七月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条ただし書を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官大野正男)

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